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アニメ映画『青ブタ』ネタバレ感想・考察|守りたい人を選ぶことのリアル【青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない】

こんにちは。アニメ大好きブロガーのケイです。

累計発行部数100万部を超えるライトノベルを原作にしたTVアニメ「青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない」の続編である「青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない」が2019年6月15日に劇場版アニメとして公開されました。

ケイ

この劇場版はTVシリーズが放送されるまえから公開が発表されていて、原作ファンにとってはまちに待った映画の公開でした。

この記事では劇場版「青ブタ」を鑑賞してきた管理人が、劇場版では場面がカットされていたため分かり辛くなったシーンの解説、原作小説と劇場版の違い、などをお伝えします。

本文の内容!
  • 映画「青ブタ」のあらすじ
  • 映画「青ブタ」の解説(ネタバレあり)
  • 映画「青ブタ」と小説版「青ブタ」の違い
  • 映画「青ブタ」の感想

映画を観た方はふり返りとして、映画を観ていない人は「そういう違いがあるのか!」という視点で読んで頂ければ幸いです。

映画「青ブタ」が動画配信サービス(VOD)で見られるようになりました。次の記事で詳しく解説しています。

アニメ映画「青ブタ」のあらすじ

©2018 鴨志田 一/KADOKAWA アスキー・メディアワークス/青ブタ Project

高校二年生の冬、梓川咲太は人生最大の窮地に立たされていた。大人になった牧之原翔子が咲太の家に同棲生活をしにやってきたのである。

人気女優であり咲太の恋人でもある桜島麻衣は、中学生の翔子が心臓の病気を患っており中学卒業まで生きられるかどうか分からないことを理解し同居自体は受け入れる。

大人に成長した翔子は、幼い翔子がもつ「大人になりたかった願望」が生み出した思春期症候群が原因であると咲太麻衣に説明をする。

しかしその説明には過去の記憶について説明のつかないことがあった。そうこうしているうちに入院していた中学生の翔子の容態が悪化する。

同時に咲太の胸の傷も悪化し咲太は意識を失う。咲太はこれまで自らの胸の傷は「妹を救えなかった後悔」が生み出した思春期症候群が原因だと思っていた。

「かえで」喪失の心の整理もついた状態だったにも関わらず再発した咲太の傷は、「妹を救えなかった後悔」だけでは説明のつかないものとなっていた。

咲太の胸の傷が生まれた本当の理由とは何なのか、そして大人の牧之原翔子の正体とは…

アニメ映画「青ブタ」のネタバレ解説

ケイ

ここから映画や原作のネタバレがあります!

大人の翔子と中学生の翔子の正体

©2018 鴨志田 一/KADOKAWA アスキー・メディアワークス/青ブタ Project

牧之原翔子とは何者なのか?中学生の翔子と大人の翔子の違いは、TVアニメの作中ではずっと秘密にされてきました。

翔子は最初、咲太や麻衣に「私は幼い翔子の思春期症候群が生んだ、未来のなりたかった姿」という説明をします。

それは半分は正解で半分は嘘です。実は大人の翔子の正体とは未来から来た牧之原翔子本人だったのです。

どうして大人翔子は「未来から来たこと」を秘密にしておかなければならなかったのか?それは翔子が咲太の命を確実に救うためでした。

翔子が生き残る未来では咲太は交通事故にあい、咲太の心臓が幼い翔子に提供されることで、翔子は命をつなぐのです。

翔子はそうなることを止めようとして未来からやって来たのですが、咲太に真実を話せば邪魔をされると思ったのでしょう。

結局、翔子の嘘は咲太と理央には見破られてしまい、咲太は自己犠牲の死を選びます。

牧之原翔子が起こした思春期症候群とは

©2018 鴨志田 一/KADOKAWA アスキー・メディアワークス/青ブタ Project

牧之原翔子が思春期症候群を起こしたのは、実は小学校の時にまでさかのぼります。

幼い翔子は将来の自分のスケジュールを書くことができず、「未来が来なければいい」と願います。

その強い願いが「未来を先取りする翔子A」と「現在を生きる翔子B」に翔子を分離させます。

未来を先取りする翔子Aは「未来が来なければいい」という願いに従い、周囲よりも生きる速度が遅い存在になりました。

そして作中での双葉の説明によれば、ここではアインシュタインが残した特殊相対性理論が関係しています。

特殊相対性理論

物質が高速で動くと、その物質の時間の進みは遅くなると言われています。ある実験によれば飛行機に「超精密な原子時計」を乗せて地球を一周させたところ、その時計は59ナノ秒進みが遅くなったといいます。つまり、時間とは絶対的なものではなく相対的なものであることが証明されたわけです。

生きるスピードが遅くなった翔子Aとは、上記の例でいうと、飛行機の外側の世界にいる人ということなのです。

つまりスピードが遅い世界にいることになり、相対的に時間の進みが早いということになります。

・・・・

はい!よく分かりませんね!

何か良い例えがないか考えた結果、みつけました。ドラゴンボールに登場する「精神と時の部屋」です。

(ドラゴンボールを知らない方、申し訳ありません…)

精神と時の部屋

鳥山明先生「ドラゴンボール超」より引用

精神と時の部屋とは悟空たちが修行に使う特殊な空間のこと。精神と時の部屋では時間の進み方が現実の世界異なり、部屋での1年が、現実の世界での1日に相当する。

ようするに幼い翔子の起こした思春期症候群とは「精神と時の部屋を作った」と思ってもらえれば簡単です。

精神と時の部屋の世界で過ごした翔子Aは、翔子Bよりも早く進む時間の中で、未来を先取りしたのです。

しかし翔子Aがたどり着いた未来では「咲太の死」によって自分が延命するという未来が待っていました。

そこで翔子Aが現実の世界を変えるべく、幼い翔子Bのいる世界にやってきた、というのがこの話の設定なのです。

咲太の胸の傷の正体

©2018 鴨志田 一/KADOKAWA アスキー・メディアワークス/青ブタ Project

咲太はこれまで自身の胸の傷について「妹を救えなかった後悔」から発生した思春期症候群だと思っていました。

しかし実は咲太の胸の傷とは咲太の起こした思春期症候群ではなく、牧之原翔子が起こした思春期症候群が原因だったのです。

先の段落で説明したように、大人の翔子とは未来からやってきた翔子です。そしてその心臓は咲太の心臓でした。

本来、咲太という人間は同じ世界に二つ存在することはできませんし、心臓も同様です。

しかし心臓だけは大人翔子Aの中に「確率的に存在している」状態だったわけで、絶対に咲太のものかどうかは不明です。

まさにシュレディンガーの猫と同じ理屈で存在を肯定されていた咲太の心臓ですが、その歪みが咲太の胸に傷として発生していたということだったのです。

ケイ

咲太、実はそんなに妹のことでダメージ負ってなかったんかい!

七里ヶ浜でのラストシーン

映画「ゆめみる少女」のラストでは、全てを知った中学生の翔子が過去の改変を行うというシーンがあります。

過去の改変は見事に成功し、咲太や麻衣は翔子のことをキレイに忘れ、翔子のいない人生を歩んできたことになっていました。

そして麻衣と偶然訪れた七里ヶ浜で、元気に両親と遊ぶ中学生の牧之原翔子を見かけます。

咲太は「誰だろうあの子」と思いながらも、出会ったことの無い少女の顔に懐かしさを覚えます。

そして次の瞬間、咲太は全てを思い出し「牧之原さん!」と叫びます。

幼い翔子は驚きながらも全てを理解し「はい、咲太さん!」と返事をかえし、物語は終幕します。

ケイ

ここ、めっちゃいいシーンだよね!

すごく良いラストだと思うのですが、映画だけを観ていると「ん?」と思うことがあります。例えば

  1. 高校生の翔子に出会って無い咲太が、なぜ再び峯ヶ原高校に進学できたのか?(咲太が峯ヶ原高校を受験したのは高校生の牧之原翔子を追いかけたからだったはず)
  2. 翔子の心臓病はどうやって治ったのか?(過去に戻っても翔子の心臓病を治す手段は移植手術以外には無かったはず)

で、実はこの二つの疑問は原作の小説を読むときちんと書かれています。

まず1番ですが、原作小説では翔子と出会わない世界の咲太も「よく夢の中によく出てくる女性の制服が峯ヶ原高校だった」という理由で峯ヶ原高校を受験しています。

なるほど、ちゃんと青春ブタ野郎ですね。

そして2番ですが、実は新たなやり直しの世界では麻衣が女優の仕事として「心臓病の女の子を熱演し映画が大ヒット」という現象が起こっています。

そしてその作品のヒットによって世の中に「心臓の移植手術」や「ドナー制度」というものが浸透し、心臓移植のドナーとなる候補者が増えた、という説明があるのです。

よってやり直し世界の牧之原翔子は、咲太や麻衣の心臓が無くても生き残ることが(他の人の心臓移植を受けることが)できたということなんですね。

アニメ映画「青ブタ」と原作小説「青ブタ」の違い

映画は原作小説2巻分のストーリー

©2018 鴨志田 一/KADOKAWA アスキー・メディアワークス

映画のタイトルは「青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない」ですが、映画の内容は原作小説でいうところの2巻分の内容になっています。

小説「青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない」

小説「青春ブタ野郎はハツコイ少女の夢を見ない」

アニメ映画「青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない」

2巻分の小説を合体させた話をベースにして、劇場版アニメ「青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない」は制作されているのです。

原作の一部はTVアニメ最終回で使用

©2018 鴨志田 一/KADOKAWA アスキー・メディアワークス/青ブタ Project TVアニメ13話(最終回)から引用

実はTVアニメの13話(最終回)ではすでに原作小説「ゆめみる少女」の一部が使われています。それは金沢で咲太と麻衣が仲直りするシーンです。

この「麻衣と咲太が喧嘩をし、咲太が誕生日を忘れて麻衣を追い、金沢で仲直りする場面」は原作でいうと「ゆめみる少女」の一章で語られる内容なのです。

ケイ

きっとTVアニメの最終回にふさわしいと判断されてゆめみる少女の内容が先にTVアニメの最終回で使われたのでしょう!

劇場版はTVシリーズ最終回からの続きなので、TVアニメを忘れてる・・・という人は11話「かえでクエスト」あたりから見直した方が理解が深まります。

原作にあって映画にはなかった話

映画「青ブタ」の内容は優先順位の関係上(?)原作にはあるのに映画ではカットされている部分があります。

細かいところを言いだすとキリがないですが、管理人が個人的に気になったのは下の3つです。

  1. 麻衣の心臓を受け継いだ梓川翔子
  2. 咲太に辛く当たる麻衣の母親
  3. 咲太の父親と麻衣の微笑ましい会話

映画は原作の内容にほぼ忠実ですが、わがままを言うと本当はこれらも映像化してほしかったなー!とは思っています。それでは順に説明します。

麻衣の心臓を受け継いだ梓川翔子

©2018 鴨志田 一/KADOKAWA アスキー・メディアワークス

翔子の命が自らの犠牲によって助かるということを知った咲太は、クリスマスの日に予定通り車に引かれにいきますが、それを知った麻衣が咲太を守って車に引かれて死亡します。

麻衣が死んでしまった後、咲太は混乱し七里ヶ浜にたどり着きます。そしてそこでいなくなったはずの翔子に出会います。

この時の翔子は今度は麻衣の心臓を移植された翔子です。

原作小説ではこの時に登場する「麻衣心臓の翔子」と、咲太が助かったことで消滅した「咲太心臓の翔子」は別の人物として描かれます。

そして「麻衣心臓の翔子」は実は未来で咲太と学生結婚し、梓川翔子になった、ということが明かされます。

いっぽう映画のほうでは梓川翔子というはっきりとした描写はありませんでしたね。

恐らくそこまではっきり描いてしまうと、情報過多アンド脚本がブレる(咲太、麻衣が死んだら翔子と結婚するんかい!というツッコミもある)ので省いたのではないかと思います。

ただ小説でのこのシーンはけっこう胸が熱くなるいいシーンだと思いますので、興味のある人は小説版を読んでみるといいでしょう。

咲太に辛く当たる麻衣の母親

あともう一つ映画のほうで省略されていたシーンは「麻衣の母親が咲太を何度もビンタするシーン」です。

麻衣が咲太をかばって車にひかれて死んでしまう場面は活字で読んでも悲しい気持ちになる場面です。

原作の小説では病院で麻衣の死亡を聞いた母親が錯乱し「麻衣を返してえええ!」と言って何度も咲太をビンタするというシーンがあります。

悲惨さがより一層際立つ演出になっているのですが、映画のほうではカットされていました。

咲太パパと麻衣の微笑ましい会話

麻衣と咲太の両方が助かったあと、麻衣が咲太の家に行くと咲太パパと遭遇するというシーンが原作にはあります。

女優「桜島麻衣」の登場に恥ずかしそうにする咲太パパと、麻衣のハートウォーミングなやりとりがカットされたのは惜しかったです。

上に書いたお話は全て「青春ブタ野郎はハツコイ少女の夢を見ない」に収録されていますので、興味がある人は読んで見るといいでしょう。

アニメ映画「青ブタ」ネタバレ感想・考察

「青ブタ」とは体験型ファンタジーである

©2018 鴨志田 一/KADOKAWA アスキー・メディアワークス/青ブタ Project

劇場版「青ブタ」は控えめに表現しても全体的にシリアスな内容の映画です。

麻衣が咲太をかばって死んでしまった時の絶望感、咲太が生き残ったことで大人の翔子も消えてしまった時の虚しさは、観ている人に圧倒的な無力感を体験させてくれます。

そういう意味では「青ブタ」は観る人の想像力を拡張させた、と言っても良いかもしれません。

単なる消費するライトノベルではなく、もしかしたら私の近所にもいるかもしれない少年少女たちの物語として、確かな手触りのある話だったからこそ、私達は画面に映る咲太の無力感に共感できたわけです。

最近の言葉でいえば「体験型のファンタジー」というところでしょうか。実際に実在する地名や建物などを使ってファンタジーとリアルの境界線を曖昧にする手法はこれまでも取られてきました。

なので全く新しいコンセプトというわけでもないわけですが、ヒロインと主人公の出会いの斬新さ、思春期症候群という少女たちの心の機微と量子力学を組み合わせる設定には驚きがありました。

そのようなシリーズ全体の積み重ねの集大成だからこそ劇場場「青ブタ」はシリアスめな路線で攻めることがある意味では正解だったのかもしれません。

完全なフィクションではなく、どこか身近に感じる物語として鴨志田一さんが描きたかったゴールがこの映画にはあると思うからです。

全てが伏線!シリーズのゴールにふさわしいラスト

©2018 鴨志田 一/KADOKAWA アスキー・メディアワークス/青ブタ Project

青ブタシリーズの中で「ゆめみる少女」と「ハツコイ少女」は特別な物語だと思います。それは咲太がタイムトラベルで過去に戻った(正確には現在に戻った)シーンに全て集約されています。

この一連のシーンでは、麻衣の命を救うために未来の咲太が奔走するわけですが、シリーズのヒロイン全員の力が結集していることが分かります。

例えば、ウサギの着ぐるみを来て「誰か見つけてよ!」と泣き叫ぶ姿はまさにシリーズ一巻でバニーガール姿になった桜島麻衣を彷彿とさせます。

また尻を蹴りあったプチデビル後輩こと古賀朋絵がいなければ「量子もつれ」が起きずに未来から来た咲太は誰にも発見されなかったでしょう。

ロジカルウィッチこと双葉理央が二人に分裂した時にした経験(電話なら本人とも話せる・本人同士は会ってはいけない)も重要でした。

麻衣に会いにいくには、TV局に入る必要があり、シスコンアイドルこと豊島のどかの協力が必要不可欠でした。のどかを救ったことがプラスに働いたのです。

これまでの伏線がいっきにつながり、大切な人を守る武器になる。ライトノベル原作のアニメがこのような興奮をもたらすとは!

この瞬間、「青ブタシリーズ」はリアル路線のファンタジーとして最高の作品になったのだと思います。

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