こんにちは。
当サイト「アニメ考察.com」管理人のケイです。
今回は『攻殻機動隊 SAC_2045』前半戦(1話〜12話)の感想を語っていこうと思います。
『攻殻機動隊 SAC_2045』はNetflix限定配信のシリーズで、2020年4月現在はシーズン1にあたる1話〜12話が配信されています。
(シーズン2にあたる13話以降の物語がいつ配信されるのかは未定です)
この記事では、まずシーズン1の内容をふまえて、アニメ『攻殻機動隊 SAC_2045』がなぜ多くの視聴者を感動させたのか――その「すごさ」を4つのポイントで解説していければと思います。
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アクションエンターテイメントとしての魅力
驚いたのは物語の前半では、哲学的で難解なストーリーを極力排し、アクションエンターテイメントにふりきっていたところ。
1話の冒頭では荒野を疾走しながらの激しい銃撃戦を展開。
ガトリングガン、アルコール、荒野、命がけのミッション、アウトローな仲間たちなど、気分は完全に西部劇である。
西部劇テイストの演出を取り入れ、視聴者に「このアニメは面白いぞ」というのをビジュアルで分からせてくる演出は見事だった。
今の時代に完全な西部劇を作っても流行らないが、西部劇のテイストを取り入れているところに、グルーバル志向のアクションエンターテイメントとしての意気込みを感じる。
さらに2話のAIドローン<ヘルファイア>との戦いも見応えがあった。
これまでの攻殻機動隊であれば、素子が電脳戦をしかけてAIを撃退するか、サイトーが狙撃して終わりそうなところである。
しかしヘルファイアは超高性能なドローンで、外部からの干渉を受けない。
おまけにサイトーのスナイパー用衛星システムを逆探知して反撃してくるという超強敵だった。
ヘルファイア戦は、電脳戦ではなく「アクションシーンで見せるぞ」という気概を感じたシーンだった。
そして前半最大の見せ場がやってくる。
5話でのパトリック・ヒュージVS素子の格闘戦である。
電脳が超高性能CPUと化したパトリック・ヒュージはポスト・ヒューマンと呼ばれている。
映画『マトリックス』のネオのように、ヌルヌルと動くポストヒューマンの動きは3DCGならではの動きである。
柔術と総合格闘技を合わせたようなあの動きは(もし作画すると大変カロリーの高いものになりそうだ)3DCGとモーションキャプチャーを組み合わによって達成されているのだろう。
3DCGの特徴を活かした格闘シーンは、アクションとしてのエンターテイメント性をより高めていた。
ポスト・ヒューマンというアイデア
ほとんど電脳戦がないのも『攻殻機動隊 SAC_2045』シーズン1の特徴である。
これを支えているのが、ポスト・ヒューマンというアイデアだ。
ポスト・ヒューマンの電脳は、草薙素子のそれを軽く上回るため、戦闘の際には基本的に電脳を閉じることになる。
そういったアイデアが活かされた結果、シーズン1の前半では過去のSACシリーズのような電脳戦はない。
草薙素子の長所を完全に潰す設定を、自然にとり入れてきたアイデアが素晴らしい。
そして9話の素子VS矢口サンヂ(3人目のポスト・ヒューマン)とのボクシング対決も面白い。
ポストヒューマンというアイデアがなければ、ボクシングは成立しない。
銃で撃つか、電脳をハックしてしまえば終わりだからだ。
(ポストヒューマンは電脳もハックできないし、銃の実弾も先読みしてよけることができる)
素子のボクシングは矢口サンヂに人間としての自我がどの程度残っているのかを確認するための演出だったわけだが、モーションキャプチャーを利用した個性的な格闘シーンが見ている者を飽きさせない。
SACシリーズ独特の哀愁も忘れない
6話の段階では「『攻殻機動隊 SAC_2045』は、このままアクションアニメに全振りしていくのか!?」とすら感じる。
しかし、その予想を見事に裏切ってくれるのが、7話「はじめての銀行強盗」だ。
7話は老後資金を失った老人たちが、日本で25年ぶりに銀行強盗をおこす話である。
たまたまそこに居合わせたバトーが、この事件に巻き込まれていく。
巻き込まれるといってもバトーにとってはお遊びのようなもので、バトーの人の良さが出る味わい深い回である。
最後のラーメン屋には、独特の哀愁があるといってもいいだろう。
老人たちがやっていることは完全に犯罪なのだが、見ていると少しだけ彼らを許してしまうような気持ちになってくる。
それはたぶん「もしかしたらあの老人たちは、未来の自分なのかもしれない」という予感があるからだろう。
世界同時デフォルトで自国通貨が紙くずになるのも、仮想通貨で全財産を溶かしてしまうのも、完全な妄想と笑えないところに『攻殻機動隊 SAC』らしさがにじみ出ている。
SACシリーズのお決まり!哲学的な小説の登場
10話以降はSACシリーズらしい哲学的なテーマが展開される。
その象徴となるのが、5人目のポストヒューマンの少年が持っていた小説「1984年」だ。
小説「1984年」は、ジョージ・オーウェルが1948年に執筆した実在するディストピア小説である。
権力者たちに都合よく管理された社会(全体主義や共産主義)への痛烈な批判が描かれている。
『攻殻機動隊 SAC_2045』に登場するポスト・ヒューマンたちの共通点は、彼らの行動が全て「既存の社会構造の転覆」につながっているということだと、スミスは語っていた。
ジョージ・オーウェルの「1984年」のテーマと、ポストヒューマンの行動原理が似ているのは、シーズン2以降の物語を読み解く鍵になるのだろう。
いずれにせよ、オーウェルの「1984年」の登場によって、SACシリーズらしい哲学的な雰囲気が一気にましてきた。
後半の13話以降の物語が大変楽しみだ。
『攻殻機動隊 SAC_2045』の感想まとめ
いかがでしたでしょうか。
今回は『攻殻機動隊 SAC_2045』シーズン1の感想をネタバレありでお送りしました。
まとめると、シーズン1は、前半ではがっつりとアクションで視聴者の気持ちを沸点までもっていき、後半にしっとりしたエピソードで落ち着かせるという構成になっていました。
まだ全体像がつかめませんが、シーズン2(13話以降)の物語が今から楽しみです。
また「これはどういう意味なんだろう?」という解説系の内容は、次の記事にまとめて書いていますので、よければ読んでみて下さい。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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