さらざんまい最終回。悠は過去の「つながり」を消しながら円の外側の誰ともつながっていない世界に進んでいきます。
全てを消し去ろうとする悠に対し、つながりを諦めない一稀と燕太。二人の想いが悠に届いた時、最後のさらざんまいが始まります。
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さらざんまい11話(最終回)のネタバレ感想・考察
「ア」のマークはつながりたい欲望
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カッパ
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カッパ
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カッパ
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- カワウソが太鼓で一稀たちを攻撃をしてきた時(最終回)
- 一稀がランニングをしている時(1話)
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カッパ
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「欲望の河を渡れ!!」とは
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「漏洩された未来」が示すテーマ
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一稀と燕太は死亡し悠は自殺した説
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カッパ
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- 少年院に入った悠が出所してきたところで一稀も燕太もいないのは不自然
- 少年院に一稀や燕太が顔を出すシーンがあっても良さそうだがそれもない
- 川に飛び込んだ悠を追いかけて一稀と燕太が川に入ってくることは不自然
- 一稀が春河に託した皿が割れたのは一稀と燕太の死亡を意味している
- ケッピの言う「喪失の痛みを乗り越えてこそ」は「一稀や燕太の死」を意味する
- 物語のさいごにカッパになった三人が登場するのは全員死んでしまったから
- レオとマブのアカウントが黒いままなのは死んだ状態だから
- イクニだから
カッパ
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カッパ
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カッパ
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カッパ
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ケイ
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さらざんまい10話の感想と最終回への伏線
燕太の命を救うため、奪われた皿を取り戻そうとする一稀。一稀をあざ笑うように自分たちのアジトに招き入れるレオ。
それぞれの欲望が交錯する中、そこにカワウソが現れ、マブがこれまで隠していた真実をレオに伝えます。
レオとマブは蘇る(希望)
10話 始まらず、終わらず、つながれなかったマブとレオも最後はつながることが出来た様子。通常のカパゾンビは円の中に吸収されて消えてしまうけど、これは二人の復活の余地が残ったね。#さらざんまい pic.twitter.com/Tvfjyp3wpa
— 黒いウサギ (@anime5satsu) 2019年6月15日
Twitterでも呟きましたが、10話の演出でマブとレオが復活する余地が残ったように私は思います。
というのはマブが尻子玉を抜かれた後のシーンで、マブの円マークは円の中に吸収されずに残ったからです。
幾原監督がわざわざ通常と違う演出をしてきたということは、何かしら意味のある演出と考えていいでしょう。
レオとマブが好きな管理人の希望も入っていますが、ぜひ二人には最終回で復活してほしいですね。
マンガ『レオとマブ〜ふたりはさらざんまい〜』ネタバレ感想・考察|サラを育てた玲央と真武アップデートされた「自己犠牲」
自己犠牲というのは幾原監督の作品ではよく出てくるサブテーマであると思います。
例えば「輪るピングドラム」や「少女革命ウテナ」でも無償の愛によって自らが犠牲になり、他人の命が救われるというシーンは何度か登場します。
そこには「命を救うには命の代償が必要」という自己犠牲がベースの物語があるわけですが、さらざんまいではこの自己犠牲を否定します。
例えば6話で春河を救おうとした一稀の自己犠牲を、悠と燕太は全力で阻止しますし、10話でも自己犠牲によって燕太を助けようとする一稀を「そんなだせぇことするな」と言って燕太が否定します。
この一連の流れは、これまでの幾原監督作品を観てきた人からすると少し驚きで、幾原監督の中の「自己犠牲」が時代の流れとともにアップデートされたのだと感じます。
さらざんまい9話の感想と最終回への伏線
9話では「悠(とおい)と誓(ちかい)のつながり」「玲央と真武のつながり」がそれぞれ印象的に描写されました。
誓が持っていた黒く塗りつぶされた写真
悠の兄、久慈誓が悠以外を黒く塗りつぶした写真を持っていた理由は、誓にとって悠だけは終わらせることのできない「つながり」だったからです。
誓というキャラクターのコンセプトはつながりを終わらせるキャラクター。9話で弟分のマサをあっさり銃で撃ち殺すところなどはその象徴的なシーンでしょう。
どうして誓はあんなことをするのか?というと要するにつながりを終わらせることが彼の人生哲学であり、行動原理だからです。
つながりを維持することというのは誓の人生にとってはめんどくさいことであり、やっかいなことであり、死に結びつく行動なのです。
しかし終わらせることでしか他人とつながれない男・久慈誓が唯一終わらせることのできなかったつながりがありました。それが弟とのつながりです。
9話のCパートで誓の胸ポケットから出てきた悠以外を黒く塗りつぶした写真とは、誓が終わらせることのできなかったつながりの象徴です。
誓は自分の中にある「弟とのつながり」が、自らを滅ぼすことを悟っていたのだと思います。だから悠を一緒に来いと誘っておきながら一方で遠ざけたりしていました。
あれは誓の中の矛盾する感情「弟を守りたい」vs「弟とのつながりを終わらせたい」が混じり合って出てきた行動やセリフなのだと思います。
レオが人形焼食べて“本当のマブ”と言った理由
玲央が真武の作った人形焼を食べて「本当の真武」と言った理由は、実は二人の過去を収録したマンガ「レオとマブ」を読まないと良く分かりません。
マンガ「レオとマブ」は時間軸でいうとカッパ王国がカワウソ帝国に滅ぼされる以前の話だと思われ、真武はまだ機械ではなく生身の人間(10話でカッパと判明)です。
このマンガの中では、真武が玲央に人形焼を振る舞うシーンがあり(真武の趣味はスイーツを作ることだった)そこを受けて9話で人形焼をうまく焼けた真武を「本物」と認定する玲央のセリフがあるわけです。
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誓とレオは正反対のキャラクター
誓と玲央が対象的なのは、誓がつながりを終わらせる側の人間なのにたいして、玲央は終わらせることができない側の人間だということ。
そして「さらざんまい」では、つながりを終わらせることのできない存在は新たにつながりをはじめることのできない存在でもあり、最終的には誰ともつながれない存在であるという残酷な原理が働いています。
玲央が再び誰かとつながりを作るためには、真武とのつながりは真武の死をもって終わってしまったことを受け入れないといけないのです。
最終回に向けては玲央が「終わること」を受け入れて一歩進むことができるのかに注目したいと思います。
さらざんまい8話の感想と最終回への伏線
真武と玲央はカワウソ帝国を裏切る
玲央と真武が心からカワウソ帝国に従っているわけではないことは観ていると何となく分かります。
この予想を補強する上で決定的だったのは8話の吾妻サラの「アサクササラテレビ」シーンです。
このシーンはなんでもないように見えますがよく見ると「SHIKOTAMAの親分 潜伏?」のテロップの下に文字があります。
ケイ
黄色く表示したテロップのローマ字を日本語にすると「だけどサラには二人が悪い人には思えない」と書いてあります。
サラの言う「二人」とは「真武と玲央」とみて間違いないでしょう。
真武はカワウソ帝国にロボットの体にさせられ玲央は真武のために一緒に活動をしています。
恐らく玲央はカワウソ帝国には秘密で希望の皿を手に入れ真武の体を元に戻そうとしているのでしょう。
ただカワウソ帝国がこれを見逃しているとは思えず、銀の皿が5枚集まるまで泳がせている可能性のほうが高そう。
さらざんまい7話の感想と最終回への伏線
愛か欲望かを判定する黒ケッピシステム
カワウソ帝国が黒ケッピを奪ったのは「愛か欲望か」を判定するシステムを作るためです。
その証拠に6話では一稀の弟が入った箱をシステムが判定するシーンで次のような描写があります。
この場面をよく見ると下のほうにうっすらと「KURO KEPPI SYSTEM」と表記されていることが分かります。
つまり玲央たちが人間をカパゾンビにする時に使うシステムにはカッパ王国から奪った黒ケッピが採用されているということ。
さらに7話Cパートにてカワウソが玲央に「お前たちには人間の世界に行ってもらう。我々の希望と共に」と回想があります。
その直後に「愛か欲望かを判定する太鼓」の中に黒ケッピがいることが分かる描写が入ります。
そしてカワウソが黒ケッピのことを「希望」と呼んでいた点にも注目したいと思います。
6話にてカワウソたちはカッパの欲望エネルギーを奪い尽くすと人間に目を向けたという説明がありました。
つまりカワウソは人間の欲望エネルギーがほしいのです。しかし人間には欲望とよく似た愛というエネルギーもあります。
カワウソたちには「欲望と愛」という2つの似て非なるエネルギーを区別するために黒ケッピが必要とした可能性があります。
欲望だと勘違いをして愛を吸収してしまうと、カワウソたちにとっては不利益になることがあるのかもしれません。
もしそうであれば確かに黒ケッピの判定システムが、カワウソたちにとって「希望」なのだと理解することができます。
物語のラストではカワウソを倒すには「愛」が有効な武器になってくるのかもしれません。
さらざんまい6話の感想と最終回への伏線
カワウソ帝国がカッパ王国から奪った黒ケッピ
6話のエンディング後のCパートにて真武と玲央が謎の部屋に到着し「見つけた!」と叫ぶシーンがあります。
この6話のシーンは前後の演出からカッパ王国がカワウソ帝国に侵略された日なのだと推測できます。
そして真武たちの目線の席には何やら白い衣装に身を包んだ人影が見えます。
この部屋と衣装からして恐らくこの人影はカッパ王国の王子であり、推測するに完全な状態のケッピです。
さらに画面には一瞬しか映りませんが「欲望が割れる!」という叫び声と共に黒いケッピが飛び出てきます。
つまり人型の完全なケッピから「欲望の化身である黒いケッピが分離した」のだと考えられます。
であれば白いケッピとは愛の化身であると仮定することができますね。
その証拠に真武と玲央が犯罪者を捕まえてカパゾンビにするときには「愛か欲望か」と問いかけます。
つまり「さらざんまい」の中では、愛と欲望は対立する概念だということです。よって
- 黒ケッピ=欲望の象徴
- 白ケッピ=愛の象徴
であると想定できます。
最終回に向けては黒ケッピと白ケッピが融合し、再び完全な状態のケッピの復活を目指すという展開になりそうです。
さらざんまい1-5話の感想と最終回への伏線
主人公三人の名前の由来
1987年〜1995年にテレビ朝日系列で「三匹が斬る!」という時代劇が放送されました。
時代劇ながら明るい雰囲気と主人公三人のかけあいが面白く、テレビシリーズが7期(!)まである人気シリーズです。
実はこの「三匹が斬る!」の主人公の名前が「さらざんまい」の主人公三人の名前と非常によく似ています。
- 矢坂 平四郎(やさか へいしろう)
- 久慈 慎之介(くじ しんのすけ)
- 燕 陣内(つばくろ じんない)
- 矢逆 一稀(やさか かずき)
- 久慈 悠(くじ とおい)
- 陣内 燕太(じんない えんた)
また「さらざんまい」のストーリー構成も毎回同じ流れ守るところが時代劇を参考にしていると思われ、「三匹が斬る!」のラストを調べてみると無視できない設定がありました。
実は時代劇「三匹が斬る!」のラストでは、リーダー格の矢坂 平四郎(やさか へいしろう)がアメリカに渡り、久慈がリーダーを引き受けるという設定があるのです。
この流れを「さらざんまい」でも受けるとすれば、最後は一稀が何らかの理由で悠と燕太の前から姿を消すという展開もありえそうです。
さらざんまいの意味
物語の前半では「さらざんまい」の詳しい意味は分かっていませんが、説としては3つあると思います。
- 何かがたくさんあることを「◯◯三昧」と言います。よって「皿がたくさん登場するアニメ」という意味で「皿三昧」=「さらざんまい」になった説。
- 主人公の三人がカッパ化した時の頭上の皿が三枚あることから「皿が三枚」=「さらさんまい」=「さらざんまい」となった説。
この2つの解釈は「さらざんまい」を言葉遊び的に解釈したものです。
もう少し別の視点で考えてみましょう。
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例えば、皿というのは円形の器であり、円というのは「縁」即ち「つながり」を表しているとは考えられないでしょうか?
すると「皿(さら)=円=縁=つながり」という変換が予想できます。
そして「三昧(ざんまい)」とは一般的には「一心不乱に事をするさまや、むやみやたらにしたがるさま」を表します。
つまり「◯◯三昧」とは「◯◯のために、心ここにあらず」という意味を表すわけです。
「皿」が「つながり」を示すなら「さらざんまい」とは過剰につながりを作ろうとする人間への皮肉とも考えられます。
アニメ『さらざんまい』1話ネタバレ感想・考察|見始めた人向けあらすじ・スタッフ・声優解説「さらざんまい」の主題歌をお得に聴くには
ケイ
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